人間性とウィニーと手みやげのはなし
人間性で商売が決まる事
かつて若い頃聞かされた話。
お客が買うかどうかの最後の判断は、
売っている人の人間性に拠るんだ。
だから、スキルとか能力以前に人間性を磨かなきゃダメなんだ…
という意見。
私はどうにも納得できなかった。
スキルや資格があった方が仕事ができると思ったし、
人間性を磨くなんて、どこでできるんだ?
第一どんな尺度で人間性を計るんだ?
そんな不明朗なもの頼りにしているから、
売り上げが上がっても、下がっても原因がわからないんだ!
と、思っていた。
そしてそれ以上に、
「人間性だけで仕事取れるって…なんだかずるい」
と感じていた。
あれから数十年経って、
世の中は過去の時代より、もう少し実質的になったような気がする。
「あの人で問題なかったし、またあの人に頼むか…」的な発注が
ずいぶん減ったと思う。
もちろんその分競争が過当になっているし、
仕事を得るために必要なスキルだって増えている。
知識だ、ツールだ、情報だなどといろんな武器を身につけて、
仕事を獲得しに行くのだけど、敵はそれ以上に武装するのだから
実際、厳しいといえば厳しい。
私は営業ではないので、最前線から一歩引いたところに位置しているのだけど、
そんな今時ふと過去の話を思い出すのだ。
お客が買うかどうかの最後の判断は、
売っている人の人間性に拠るんだ。
だから、スキルとか能力以前に人間性を磨かなきゃダメなんだ…と。
ウィニーの判決の事
ちょっと前の話になってしまうのですが、ウィニーの開発についての
判決がでましたね。
ウィニー自体は使った事がないので評価はできないのだけれど、
このアプリの存在は悩ましいものだと思う。
技術革新の面からすると、有罪とするのは問題があると思えるし、
著作権保護の面からすると、無罪はないだろうと思える。
しかし、原爆と同じくウィニーは生まれるべくして生まれた…
と思う。
被告が開発しなくとも、誰かが開発していただろう。。
そして、著作権を持つモノを、作る立場の末席を汚す者としては、
自分が価値を認めたモノには対価を払うべきだと思っている。
つまり、自分が「良い」とか「凄い」とか感じた作品や作者には
きっちりお金を払って見たり、得たりするべきだと思っている。
といいながら、そそくさと古本屋へ向かう自分を俯瞰する。。
とても無責任な言い方で申し訳ないのだけれど
ここに、今の世の中が詰まってるような気がする。
手みやげの事
その会社の制作体制にもよると思うのだけど、
「新規得意先へ行くから、デザイン一新したもの作って」という
オーダーがしばしばある。
つまり、得意先へ営業へ行くからなんか手みやげが欲しいのだ。
このオーダーは本当にデザインと、デザイナーをバカにしている。
「イメージなんて別に意味はないんだから、思いついたもの作りゃいいのさ」
という意識が丸見えで、つまりは小学生が好き放題勝手に描いたモノと、
曲がりなりにもお足(デザイン料)を頂くデザインを同列に考えているのだ。
(小学生に失礼な気もするが…笑)
これについて、私は以前に爆怒りしたので、
私の勤める所では、おおっぴらにはオーダーされなくなった。
ま、といっても単に地下に潜っただけで実際は暗躍しているようなのだが。
そして、
こういう仕事は、だいたい若手デザイナーに振られる可能性が高い。
なぜなら、「自分のデザインを試すチャンスだ!」という甘い誘惑的な
声がついて回るからなのだ。
オーダーする側の作戦としては、
いつもは下働きばかりで、自分の仕事が外へ出るチャンスがない…
いつかはオレだって、一線へでてやるんだ!という若手の心理を狙った、
狡猾な作戦なのだ。
その上…
その声は、オーダーする側よりも内なる自分の声の方が大きかったりする。
そして、実際にできた「仕事」は、
所詮手みやげ以上になりはしないのだ。
そんな現状を見るたびに
私は、なんだか深く暗い穴をのぞいたような気分になる。
ま、それも修行のうちか…
9:42am (1 note)